BLOG 興聖寺座禅ブログ
純粋な心へと向かい、人を育む時間
2018.4.5
興聖寺の坐禅会
坐禅というと、少し厳しいイメージがあるかもしれません。
じっと目を閉じ座り続ける……しかし坐禅というのは我慢大会ではありません。
坐禅は、精神の集中のための修行です。
精神集中の極限までいくと、雑念が消えて静まり返り、ぷつりと頭の中から言葉が消えます。その状態が、お釈迦様のおっしゃる「執着から離れた純粋な心」の状態なのです。
精神集中の極限までいくと、雑念が消えて静まり返り、ぷつりと頭の中から言葉が消えます。その状態が、お釈迦様のおっしゃる「執着から離れた純粋な心」の状態なのです。
ただ、そこで得た「純粋な心」は、そのとき限りのものでも自分だけのものでもありません。その心を坐禅以外の生活の時間や他者に還元することで、初めて坐禅は意味をなします。
ここに至るまでには、もちろん一朝一夕ではかないません。一回のみで終わらず、何度も正しい方法でトレーニングを重ねることが大切です。
ここに至るまでには、もちろん一朝一夕ではかないません。一回のみで終わらず、何度も正しい方法でトレーニングを重ねることが大切です。
興聖寺では、初めての方にもわかりやすく、そして長く続けていただけるような坐禅会を開いています。
坐禅を通して得た純粋な心は、きっと自分だけではなくまわりの人々の支えになるはずです。
興聖寺の坐禅会は、そういった人を育てていく場所でもあります。
坐禅を通して得た純粋な心は、きっと自分だけではなくまわりの人々の支えになるはずです。
興聖寺の坐禅会は、そういった人を育てていく場所でもあります。